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つい当たり前に思ってしまうけど...
虫の声を心地よく聞こえるのは日本人とポリネシア人ということをつい最近知りました。
皆さん知ってました?
どうやら、西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対して、
日本人は言語脳で受け止めるということが実験で証明されているそうです。
(東京医科歯科大学の名誉教授・角田忠信氏)
今まで秋になると鈴虫やコオロギなどの虫の声を聴くと秋だなぁ~
と感じたりしていたことが、西洋人には道路工事の雑音として聞こえてるなんて...
ちょっと驚きです。
今まで、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないんだということを
思い出しました。
わかっていたはずなのに、気が付くと「当たり前思考」になってしまっているですよね。
私の兄は、26歳という若さでこの世を去りました。
また、幼馴染も45歳という若さでこの世を去っています。
その時は、今私が当たり前のようにご飯を食べたり、仕事をしたり、人と会話をしたり
生活のすべてが当たり前じゃないんだと感じていたはずなのに、
生活に追われ、当たり前にしてしまっていることが多くなってしまいます。
両親が元気で暮らせていること
毎日美味しいご飯が食べられていること
しゃべれること
手足が動くこと
まだまだ書ききれませんが、
人はどうしても多くを望みもっともっとと要求してしまいます。
母親だから家事をするのは当たり前?
父親だから強くて当たり前?
子どもだから言うことを聞くのは当たり前?
こんな風に○○だから当たり前、○○してもらうのも当たり前。
でも、もしかしたらあの時命を落としたのは私だったかもしれない。
事故や病気で亡くなる人も、何か理由があったのではなく、
悲しい偶然なのだと思うんです。
だからこそ、今私がこうやって何不自由なく生活しているのも、
たまたまいろいろな難から、たまたま逃れられているんだと思うんです。
今出来てないことや、ああなりたい、こうなりたいことばかりに目を向けて
今の出来ていることを見失うからこそ、将来に過剰に不安を感じたり
理想ばかりが高くなって、できない自分を責めて落ち込んだりしちゃうんだと思います。
もちろん、目標や夢は大切です。
でも、今の自分の出来ていることに目を向けなければ目標や夢にもたどり着けないと思うんです。
私自身も、できないことばかりに目が行きがちなので出来ていることを
日記のようにノートに書いてみようと思います。
追記
つい先日、数年前に亡くなった幼馴染の話が出て、
最後にLINEでくれたメッセージを思い出しました。
「あなたの今している仕事や進む道は絶対間違ってないから大丈夫!」
私はこの言葉があるから、今の仕事を続けていられるのだと思います。
そんなことを思いだしていたタイミングでこの虫の声の話。
やっぱり当たり前なことはないんだとじみじみ感じています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。