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高齢者の介助は避けては通れない
今日、お友達のパーソナル介護士の伊藤郁美さんとお仕事の事や
近況などいろいろなお話をしました。
私も高齢の両親と同居しているせいか介護の問題は他人ごとではありません。
私の父は数年前に脳梗塞を発症し名詞と数字が理解できないという後遺症が残り、
言葉で何か伝えることは難しい状態です。
おかげさまで四肢の麻痺は無いので身の回りのことはほとんど自分でやってくれています。
それでも、言葉を使えないので「何が欲しい」「どこに行きたい」など
父の伝えたいことをくみ取るのにはそれなりの時間が必要です。
郁美さんとお話してると、自然と高齢者の話になります。
今日も、私の父の日常などを「こんなことがあってね」
なんて笑いながら話していたら、
彼女から「どうしてそんなに楽しそうに話せるの?」と
質問されました。
確かに、脳梗塞を発症して言語障害がある父とのやり取りは
少し時間がかかるしもどかしいと思うこともあります。
でも、強がりではなく今の方が楽しいと思えるのです。
なぜなら、もともと口数が少ない父だったので、
今の方がゆっくり会話が出来てる感じがします。
私にとっては日常のことで、少し時間はかかりますが父の伝えたいことは
ほぼ理解できています。
父のような症状の人はたくさんいて、
言葉がつかえないともどかしくイライラして感情的になってしまったり
周りの家族もしてあげたいと思っても言っていることがわからず
困惑してイライラに繋がることもあると思います。
私、父が後遺症が残ると聞かされた時一つだけ心に決めたことがあるんです。
「これから不自由な思いをするけどそれを楽しもう」と
どうせサポートが必要になるなら、それを楽しもうと思ったんです。
寝たきりのご家族のお世話や認知症のご家族のお世話をされている方にしてみれば
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、
「介護」は私たちの年齢になるとどうしても避けては通れない課題です。
父は車の運転もできなくなったので、両親の病院への送り迎え、買い物
細かな書類、行政の手続きなど今まで父がしていてくれたことをほぼ受け継いでいて
やることは増えていますが、これはどんなに文句を言っていても誰かがやらないと
ならないことなので、どうせなら気持ちよくやりたいと思うんです。
そういう気持ちが両親にも通じてるのか、私のことを気遣ってくれます。
ある日、父とのやり取りで
「できなくなったことを悔やんでもしょうがない」
「できないことができるようにはならない」
と父は思っていることに気づきました。
そういう動じない父がいるからこそ、周りの私たちも余裕が生まれ、
イライラや怒ることも少ないのかもしれません。
私も父の年齢に近づけば、同じような状況になるかもしれません。
その時は父のように冷静に事実を受け止め動じない人になっていたいと思います。
そのための貴重な経験だとも思っています。
父と同じような症状の家族をいる方の参考になれば幸いです。
郁美さんのHPはこちら↓