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いくつになっても必要とされる欲求は衰えない
金曜日の深夜枠で「三千円の使いかた」というドラマが始まりました。
テレビ大好きの私。
ドラマも大抵は見てるんですが、そのドラマは今の時代を反映させていて
高齢化社会、お金、病気、などどの家族でも起きそうな問題がテーマになっています。
今回は「77歳のおばあちゃんがブティックで働く」までが描かれていて
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両親、次女、おばあちゃんが同じ家で暮らしていて、
長女は別の家庭を持っていて別で暮らしているという家族構成。
これからは、おばあちゃん目線でお話ししますと、
おじいちゃんが亡くなって、息子夫婦と同居することになったんだけど
日々、退屈に感じていたある日、お嫁さんから「お友達におせち料理を教えてほしい」
と頼まれ、準備や段取りをして当日を迎え、お嫁さんのお友達から「おいしい」と
喜ばれて、お嫁さんからお礼だと謝礼金をもらい、必要とされたと感じて胸が熱くなり、
死ぬまでのそう長くはない時間を誰かに喜んでもらえる仕事がしたいと、
ブティックの面接を受けて契約社員になる。
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これが、ざっくりしたストーリーなんですが、
なんとタイムリーな!
高齢になれば、いくら健康で元気でも、社会から見ればお世話をされる立場。
仕事(社会)から離れてしまうと、
どうしても頼りにされることや必要とされてる実感を感じる機会は大幅に少なくなります。
年を取ったからって、社会や身近な人から頼りにされれば嬉しいと思うんですよね。
ただ、これは家族間では、非日常の出来事というのが大前提で家事に対しては
家族に当たり前だと思われてしまうと逆の感情が沸いてきそうなので。
だからこそ、働くということであれば、相応の対価と、充足感、生きがい、安心
などが得られ、健康で元気な余生を送れるのではないかと思うんです。
年を重ねることで、もちろん体力のような物理t的な面は衰えるけど、自分が誰かに
頼りにされたいと思う「欲求」は衰えることがありません。
だからこそ、定年を迎え今まで仕事で得ていた存在意義がある日突然なくなり
時間だけはたっぷりできるので、数か月もすると自分が「生きている価値があるのか」
と思い悩み「うつ病」を発症するという話を聞くこともあります。
まさに、今の社会の問題じゃないかと思うんです。
高齢者だからこその経験や知恵は、有事の時にこそ必要な宝のようなもので、
その経験や知恵は次の世代にも必要になるはずだし、日本ならではの文化の継承も
とても大事になると思っています。
超高齢化社会の日本では、
高齢者ならではの経験や知恵が仕事に繋がれば、
健康で生きがいが少しの収入になり、その収入で経済が動く。
そんなしくみや場所を作り出すのは私たちの世代やもっと若い世代が出来ることなのかもしれません。
世代を超え認め合える世の中にしたいですね。
シニア「けやき学級」の講座を終えて感じたこと
先日、シニアふきはら大学・大学院失業生で構成されたけ「けやき学級」
での講座でした。
平均年齢70後半といった年代の男女の方々、人生の大先輩。
もう~~皆さんとってもお元気!
皆さんの学ぶ姿を見ていて、
「幾つになっても学びは終わらないね~、終わるのは天に召されるとき」
と、心理学の恩師の先生がおっしゃってたことを思い出しました。
先生曰く、いくつになっても学べることが嬉しい、
どこにでも学びはあるし、どこでも学べる。
まさに、会場は学びたいという空気で充満していました。
グループ内でのやり取りも、お互いに教えあったり
共感したりで、とても楽しそうでした。
しかも、最後の質問の時間では前のめりで質問され
学びたいという熱が半端ない感じでした。
超高齢化社会の今、学びたいという「欲」だったり
何かに夢中になる事で、生き生きと若々しく
健康を保って長生きできる秘訣なんだと実感しました。
戦後、物のない時代の日本の経済を支え必死に働いてきた世代の方たちの
おかげで今の便利で豊かな時代があるのだと思っていて、
その方々の人生のほんの一瞬かもしれませんが、
今回の講座で楽しんでもらえてたのならこんな嬉しいことはありません。
高齢者の方々はたくさんの知恵を持っていて、
それを、これからの未来にも引き継げたらいいなと思うんです。
例えば、
身内の話で気恥ずかしのですが、
私の父が毎年年末になると近所の神社のしめ縄飾りを作るんです。
その時に自宅の分も作ってくれるんですが、
父も高齢になって、昨年末を最後にしめ縄飾りから引退を決めました。
まだ、代わりの方はいらっしゃるそうですが、
それも、近い将来いなくなってしまう可能性の方が大きいです。
その話を聞いたとき、なんか淋しく感じて、
昨年末に、友人としめ縄飾りの作り方を教えてもらう時間を設けました。
その時、父が思いのほか嬉しそうだったのがとても印象的でした。
これは、一例ですがまだまだたくさんあると思うんです。
教える側の高齢者にとっても日々の生活の活力になるのではと思っています。
などと、色々な想いがこみ上げる日になりました。
そして、まだ何も思いついたわけではありませんが、
何かしらできることがないかな~と思っています。
まずは、誰かと語り合うことから始めようと思っています。
性格を変えるのではなく習慣を変えていく
先日の教室での出来事でとても嬉しいことがあったのでご紹介します。
もちろん生徒さんには快諾してくれました。
その日、会場に向かう私に、ピコンとLINEの通知が。
そこには、まさにこれからの教室を受講される生徒さんからでした。
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生徒さん:慌てて出てきたら、バックを忘れてしまって
その中にお財布も入っていて今日の受講料
次回まとめて支払いでもいいですか?
私: もちろん、いいですよ。
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一見ごくごくよくある話。
でも、実はこれってこの生徒さんにとっては大きな進歩だったんです。
なぜかというと、
この生徒さんは、人から否定されることを極度に恐れ
自分がダメなところを見せないように、ばれないように
一生懸命「策」を練る方だったんです。
そのためには簡単に嘘をついてしまったり、
それらしい言い訳をも用意するのが常だったそうです。
そういった「策」を使う方が自分のミスを正直に話すのはなかなか難しいんです。
でも、本人も無自覚で気が付いたらLINEしていたそうです。
この話は、休憩中の雑談で、「ん?」って何かに気が付いたように
もしかして~と
「今までの自分だったら、こんなミス恥ずかしいし、相手から
馬鹿にされたり、怒られたりするのが嫌で具合が悪くなったとか
適当な嘘をついて、キャンセルしていたはず。
でも、そんなことも考えないまま自然と携帯を手に取り文字を打ってた。」
と話してくれました。
このことは、とっても大切な経験で、
今までは、相手に確認すらせず、勝手に悪い方の想像をして
またまた勝手に相手が嫌な態度を取るであろうと思い込み
自分も嫌な思いするじゃんと、悪い結果のストーリーを作り
あたかもそれを現実と思ってしまう。
その悪いゴールを避けるために、言い訳や嘘を日常的に使っていたので、
嘘がばれた時には、周囲の人から不信感を抱かれるので、また信用してもらうために
ダメな自分を否定する。
だからこそ、相手との関係で思い悩むことが多かったのだと思います。
今は、少しづつ相手に聞けるようになって、
相手の穏やかな顔が見れたりしていて、自分も感情に振り回される
時間が短くなったそうです。
トレーナーとしての私は、こんなに嬉しい報告はありません。
もちろん生徒さんが意識をして感情的な言動を思いとどまったり
考えながら言葉を発してたりと、
ここ3か月課題に真摯に取り組んだ結果です。
習慣を見直すことで性格はそのままでも捉え方や観察する余裕が生まれた結果、
自分で勝手に妄想した悪いストーリにのっからずに、
無意識でいつもと違う行動になったと言えます。
すべてが出来るようになったわけではありませんが、
この一つの変化を生徒さんも喜んでいました。
そして、「新しい自分を発見できて面白くなってきた。」
とおっしゃっていました。
些細なことですが、生徒さんにとってはとてもおおきな出来事だったと思います。
新年なって初の教室dayだったので、本当に嬉しく
幸先のいいスタートになりました。
こういうことに立ち会えるのでこの仕事はやめられません。
生きづらさを感じてる人の参考になれば嬉しいです。
無意識ってどんなもの?
色彩をメンタルトレーニングで取り入れているうえで
重要としているのが「無意識」です。
人の心(脳)は意識と無意識とで構成されています。
しかも、そのほとんどが無意識ということはご存じでしょうか?
割合としては
「意識3~5%、無意識95~97%」
驚くほど無意識に占められているんです。
だからこそ、無意識がとても重要になると思います。
では、無意識は何で構成されているかというと大半が
生まれてから今までの記憶で出来ていると言われています。
その中には「言語」「体感」「感情」なども含まれているのではないかと考えます。
ということは、人が行動するときほぼ無意識で行動をしていることになります。
そう、自分では自覚できない領域で判断し、行動をしていると考えると
自分の事がわからなくなったり、もやもやした感情に振り回されるのも
仕方ないことではないでしょうか。
自分の事(無意識)をすべて理解することは難くて、
何か新しい体験をしたり、新しく取り組むことがあるたびに
無意識の中にある、生きてきた分の「言語」「体感」「感情」などに照らし合わせ
また無意識で判断し行動にまでつなげてしまうのです。
だからこそ、できるだけ自分の無意識が何で構成しているのかを
調べる必要があるというわけです。
自分がどんな「言語」を使ってきたのか、
自分がどんな「体感」をしてきたのか、
自分がどんな「感情」を抱きやすいのか、
そこを記憶や自分の言動などを思い起こして調べていきます。
時にはメモを取ってもらったりもします。
とくに感情の部分は言語や体感と複雑に絡み合ってしまいますので
感情が湧き出た瞬間が大事になってきます。
トレーニングではここに時間をかけることがほとんどで、
毎日湧き出た感情をメモすることで、
2週間くらいすると
「意外とこんな感情を抱いているんですね」
「思った以上に怒りの感情が多い」
「こんなことばっかり思っているんだ」
と自分を客観視することが出来て、そこから建設的にどうすればいいのかを
考えるようになっていきます。
(これは、実際にトレーニングを受けている方の感想です)
様々な方法で無意識の中の情報を表に出すことで
次のステップの行動に切り替えていくんです。
無意識を自覚してるかしていないかで、
無意識的、によくない行動を繰り返す自分に、何かしらの改善を
試すことが出来るのです。
この無意識の中の情報を引き出すのに「色彩心理学」が
とても役に立つんです。
色彩心理学と無意識の関係性はまたの機会に。
主観って難しい
「主観と客観」
この言葉はよく聞く言葉です。
主観的思考だとか客観的思考だとか。
メンタルトレーニングでもここは重要だと思っています。
人と話す時でも自分の主観で物事をとらえていると
会話が成り立たなかったり、最悪は対立してしまうことに。
客観的に物事を捉えることが悩むことからの解放だったり
ストレスの軽減にもつながります。
ただ、主観と簡単に言っても
客観的との区別が難しいところです。
主観を辞書で調べてみると
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対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき,またそのはたらきをなす者。
通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,
カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え,
これが客観的認識を可能にするとする。主体
自分ひとりだけの考え。
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と出てきます。
ん~~難しいですね。
これを相手とのやり取りとして私なりに解釈すると
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話の内容や事柄について、認識や評価など自分だけの世界の中で判断したり
評価すること。
自分ひとりの考え、または思い込み。
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人は何かしらから情報を得て、自分の考えのベースを作ってるだと思うんです。
私もそうです。
その道に詳しい人、書籍、学び、はたまたネットでも調べたりします。
ただ、自分の都合のいいように変換して記憶することもあって
思い込みにつながる危険性もあります。
だからこそ、いつも自分に問いかけたり、相手の話をよく聞いて
わからないことや疑問に思うことはその都度調べたりしています。
ただし主観がすべて悪いのではなく、
信念や想いはその人の大切な主観とも言えます。
自分の考えを持つことはとても大切で、
その考えを非現実的な幻想にならないようにするのが
「客観性」なのです。
主観と客観を交互に行ったり来たりすることで
主観を幻想ではない信念や想いになるのではないでしょうか。
仕事では特に、「思い込みではないか」「主観的な対応ではないか」と
自問しています。
そして主観的にならないもう一つの方法は
仲のいい友達だけではなく、
様々な職業や、立場の人と多く出会い話を聴くことです。
色々な人と対話することで思い込みを「主観力」が身につきます。
私の心理学の恩師はことあるごとに
「立場や職業、年齢の異なる人とたくさん出会って、たくさんお話ししましょう
それがカウンセリングを身につける近道です」
とおっしゃっていました。
今、この仕事をしていて一番気を付けていることが「たくさんの人と出会いお話をする」ことです。
悩みやすい人
考えがすぐに混乱する人
相手の気持ちがわからないと感じる人
↑と感じる人は、近いうちに話したことのない人との会話にチャレンジしてみては。
今日は長くなってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
どなたかの参考になれば嬉しいです。