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人はストロークを得るために生きている
人は何のために生きているのでしょう?
交流分析の提唱者、精神科医エリック・バーンは
「人は何のために生きているのだ。それはストロークを得るためだ」と言っています。
ストロークとは
「その人の価値や存在を認める行動や働きかけ」と定義されています。
簡単に言うと「言葉や態度でのふれあい」といえます。
ストロークは「肯定的ストローク」と「否定的ストローク」
に分かれていて、さらに細かく分類されますが、
ひとまずこの2つで進めていきます。
子どもの頃に受けたストロークは人格を形成するうえでも
とても重要で、肯定的ストロークをたくさん受けた子供は
こころの安定した大人になるはずで、
逆に、否定的ストロークを受けた子供は生きづらい大人になってしまいます。
また、子どもは肯定的ストロークが不足するとあえて怒られる行動をして
肯定的ストロークの代替えとして否定的ストロークでも受け取ろうとします。
ここで、
否定的ストロークで生きづらくなった人はもう間に合わない?
そんなことはありません!
幼少期に受けた否定的ストロークの蓄積は
何歳からでも肯定的ストロークを意識して行動することで
肯定的ストロークが蓄積され少しづつ変わってきます。
このことは我が家でも体験済みで、
「ありがとう」と一日10回を目標に毎日続けていたら、
普段ほとんど「ありがとう」という言葉を言ったことのない母が
1か月後には自ら「ありがとう」言うようになり
穏やかに過ごす日が多くなりました。
生きづらさを感じてる人は試しに何か一つ実行してみてはいかがでしょう。
肯定的ストロークで感じる気持ちと行動をあげておきます。
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気持ち
・安心
・心地いい
・満足感
行動
・抱きしめる
・なでる
・スキンシップ
・微笑む
・褒める
・励ます
・承認する
・傾聴する
・愛情表現
・あいさつ
・うなずく
など相手の存在や価値を認める言葉や働きかけ。
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こころの病気について(医療機関の予約がすぐに取れない)
ここ数年、こころの病気を発症する人が増え続けていて、
メンタルクリニックへの予約もすぐにはできない状況が何年も続いています
下記の厚生労働省のデータにもあるように、患者数は増加の傾向にあります。
※気分障害にうつ病が含まれ、神経症性障害にはパニック障害などが含まれています。
このデータだと、コロナ過になってからのデータは含まれてませんが、
コロナの影響としては、かなりあるのだと感じています。
また、今の経済状況を見ると物価の高騰、公共料金の値上げ、
など家計にかなりの負担になっているのは想像できると思います。
仕事でも、ストレスを感じない日は無いでしょうし、
経済への漠然とした不安と仕事でのストレスが重なって
今まで何とか心の状態を保ってた人、介護を余儀なくされた家族
不安を感じやすい人などは限界なのだと思います。
そういった心の不調を感じた人が、いざ医療機関に予約を入れようと思っても
2か月、遅ければ3か月先でないと予約が取れない状況です。
限界を感じたときにアクションを起こすので、
すぐに医療機関への予約が取れないと症状が悪化する危険性もあるし、
勇気を出して予約の電話をした人は不安や絶望感に似た感情になるのではないでしょうか。
この状況は数年前からほぼ同じ状況で、
経済状況に光が見えなければこの状況は悪化するばかりだと思っています。
このような状況にあるのだということを多くの人に知ってもらいたいと思っています。
ともすると、心の問題は「人の弱さ」だと思われがちですが
どんな人でもこころの病気を発症する可能性を持っているんです。
そこで、
私もそうですが、この地域でも民間資格でメンタルヘルスを学んだ方もたくさんいらっしゃいます。
また、からだのメンテナンスをするセラピストの方もたくさんいらっしゃいます。
もちろん、民間資格での治療行為はできません。
ただ、もっと前の段階で考えると私たちにもできることはあるのだと思っています。
例えば、予防だったり、ある程度治療を終えて社会復帰されてるケース、
医師の判断も何とも言えないレベルのグレーゾーンと呼ばれる範囲の人たち。
もちろん、専門知識のある医療機関との連携を図れたら言うことなしです。
特に民間で学んだ人たちは、自分自身がこころやからだの不調を体験をしている人が多いので、
経験があるからこそ、弱った人に寄り添う対応ができると思っています。
少しでも、安心で安全な世の中になる事を願います。
自分を変えたいと思う人は習慣を見直すといいですよ
「継続は力なり」とはよく言ったもので
色彩メンタルトレーニングは、まさにこれに尽きるといった感じです。
性格を変えずに、自分らしく生きるためには
習慣を見直すことが一番大事だと思っています。
感情や本質の形成は5歳くらいまでに形成されて、
(ここで形成された性格はどんなに努力をしても変えることはできません。)
10歳くらいまでの間に感情や本質をベースに習慣にしてしまいます。
5~10歳の間で習慣化したものは、習慣を見直すことで変えることは可能です。
ただ、この習慣化した考えや行動のほとんどは無意識の中に保存されているので、
色々なことに無意識で反応として出てしまうのです。
だからこそ、習慣を変えるのには時間がかかります。
私自身も、「強くあれ」「負けてはいけない」「逃げるな」など
弱い心はダメだと周りに戦いを挑むことが習慣になっていたと思います。
でも、本質のところは人より劣ってると思っていて、体裁だけを一生懸命整えていたように思います。
そんな自分が好きになれず、隠すためにもまた鎧を身につけるという悪循環の中にいました。
だからこそ、いろいろな問題が重なると耐えられなくなってうつ病を発症してしまいました。
何をしていても不安で周りと比べては自分を否定して、
それを知られたくなくて見えない鎧を付けるの繰り返しでした。
そんなときに出会ったのが「色彩心理学」と「交流分析」でした。
一番印象に残ってる課題は「ありがとう」という言葉を使うことでした。
最初は半信半疑で、とにかく課題だからと宿題をこなすんだと思って取り組みました。
あともう少しで1か月だという時に、親とのやり取りでびっくりすることがあって
それが習慣を見直すきっかけになりました。
それからは、時間をかけて習慣を見直し、その習慣をやめるのではなく
新たなことに取り組んで習慣にしていくことをしました。
怒りや攻撃で支配されていたような私でも時間をかけて習慣を見直し
自分らしさを見つけることが出来て、今は穏やかでいられるようになりました。
もちろん、人間ですので怒ることがなくなったわけではないですが
びっくりするほど少なくなりました。
ちょっと私の話が長くなっちゃいましたが、
悪い方へ向かう習慣を見直して、少しづでもいい方向へ向かう習慣に
切り替えて自分らしくいられるように、
まずは今の習慣に目を向けてみてはいかがでしょう。
多様性を受け入れるためには準備が必要です
今の社会は、教育の現場や組織でも「多様性」を受け入れようという流れになっています。
多様性を調べてみると
「いろいろな種類や傾向のものがあること、変化に富むこと」
と出てきます。
確かに、言語としては理解できると思います。
しかし、多様性を受け入れるのはとても難しいと思います。
特にカリキュラムを遂行しなくてはならない教育現場や
納期や規約などがある組織での現場では「多様性」を受け入れる
のは至難の業です。
なぜなら、現場のスタッフはそれどころじゃないというところです。
日々の業務に追われ、納期のある仕事を担っているスタッフは
目の前の仕事を納期に間に合わせることに意識が向いています。
教育の現場も同様に、1クラス20~30人の授業をしている現場では
一人ひとりを尊重しながらカリキュラムを遂行するのは本当に
難しいと思います。
私の体感としては、多様性という言葉だけが先走っていて
多様性を理解するためのすべを持ってない人が多いのではないかと感じています。
それでも、多様性を受け入れることは今の時代とても重要です。
多様性を受け入れるには、現場の環境を整えることが必要になります。
例えば、準備をせずに「障害」がある方を受け入れてしまえば現場が混乱し、
業務にも支障が出てしまうこともあるはずです。
しかも、発達障害のような目に見えない障害なら尚更です。
また、人が集まる状況になれば様々な考えや想いのひとがいて
10人集まれば10個の考えや性格があるというわけです。
考えや性格によって使う言語や態度が大きく異なり、
障害の有無にかかわらず、人が集まれば
「多様性を受け入れる」という考え方が必要になります。
まずは、今の人材の意識改革をしてはいかがでしょうか。
そこで、多様性を受け入れる準備として
手始めに、自分を含め周りにいる人を良く知ることから
始めてみてはいかがでしょうか。
もちろん、何の知識もなく始めてもうまくいきません
世の中には、自分や周りの人を知るための道具はたくさん存在しています。
多様性を受け入れるということでお悩みの方はいろいろ探してみてはどうでしょう。
手前味噌ですが、色彩メンタルトレーニングでは自分や相手を知ることから
トレーニングを進めていきます。
ご興味があればご一報ください。
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いくつになっても必要とされる欲求は衰えない
金曜日の深夜枠で「三千円の使いかた」というドラマが始まりました。
テレビ大好きの私。
ドラマも大抵は見てるんですが、そのドラマは今の時代を反映させていて
高齢化社会、お金、病気、などどの家族でも起きそうな問題がテーマになっています。
今回は「77歳のおばあちゃんがブティックで働く」までが描かれていて
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両親、次女、おばあちゃんが同じ家で暮らしていて、
長女は別の家庭を持っていて別で暮らしているという家族構成。
これからは、おばあちゃん目線でお話ししますと、
おじいちゃんが亡くなって、息子夫婦と同居することになったんだけど
日々、退屈に感じていたある日、お嫁さんから「お友達におせち料理を教えてほしい」
と頼まれ、準備や段取りをして当日を迎え、お嫁さんのお友達から「おいしい」と
喜ばれて、お嫁さんからお礼だと謝礼金をもらい、必要とされたと感じて胸が熱くなり、
死ぬまでのそう長くはない時間を誰かに喜んでもらえる仕事がしたいと、
ブティックの面接を受けて契約社員になる。
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これが、ざっくりしたストーリーなんですが、
なんとタイムリーな!
高齢になれば、いくら健康で元気でも、社会から見ればお世話をされる立場。
仕事(社会)から離れてしまうと、
どうしても頼りにされることや必要とされてる実感を感じる機会は大幅に少なくなります。
年を取ったからって、社会や身近な人から頼りにされれば嬉しいと思うんですよね。
ただ、これは家族間では、非日常の出来事というのが大前提で家事に対しては
家族に当たり前だと思われてしまうと逆の感情が沸いてきそうなので。
だからこそ、働くということであれば、相応の対価と、充足感、生きがい、安心
などが得られ、健康で元気な余生を送れるのではないかと思うんです。
年を重ねることで、もちろん体力のような物理t的な面は衰えるけど、自分が誰かに
頼りにされたいと思う「欲求」は衰えることがありません。
だからこそ、定年を迎え今まで仕事で得ていた存在意義がある日突然なくなり
時間だけはたっぷりできるので、数か月もすると自分が「生きている価値があるのか」
と思い悩み「うつ病」を発症するという話を聞くこともあります。
まさに、今の社会の問題じゃないかと思うんです。
高齢者だからこその経験や知恵は、有事の時にこそ必要な宝のようなもので、
その経験や知恵は次の世代にも必要になるはずだし、日本ならではの文化の継承も
とても大事になると思っています。
超高齢化社会の日本では、
高齢者ならではの経験や知恵が仕事に繋がれば、
健康で生きがいが少しの収入になり、その収入で経済が動く。
そんなしくみや場所を作り出すのは私たちの世代やもっと若い世代が出来ることなのかもしれません。
世代を超え認め合える世の中にしたいですね。