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がんサロン「ひだまりはぁと」に行ってきました
先日、がんサロン「ひだまりはぁと」にお邪魔してきました。
「ひだまりはぁと」は
主催の“唐沢かつ美”さんと“向井智子”さんが
~がん患者方々の集える場所を~
という想いで立ち上げたがんサロンです。
今年の7月で丸14年になるそうで、
お二人は細く長く続けていくことがモットーだとおっしゃっていました。
私と「ひだまりはぁと」との出会いは、
数年前に唐沢さんからお声をかけて頂いて
おふたりと食事をしたのが始まり。
当時、飯田市立病院でもがんサロンに関わっている時期で
話が盛り上がったのを思い出します。
私自身はがんサバイバー(体験者)ではなく、
別の病気の経験者で、命に係わる病気ではなかったにしろ
向き合うにはそれなりに苦労したので、
命に係わる病気と診断されていたらもっと難しいだろうな~と思っていて、
がん患者の方やがんサバイバーの方がどんな気持ちで
向き合っているのか知りたいと思ったのがきっかけで
友人から飯田市立病院にがんサロンを立ち上げる話を聞いて
治療をする医療関係者やがん患者の方のお話を聞きたくて
参加させていただきました。
その時に飯田市立病院の看護師長が
「患者の皆さんは、毎日病気と向き合っているから
せめてがんサロンに参加している時間は病気のことを
忘れてもらいたい。そんな時間が1か月に数時間あったって
いいと思うんです。」
とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
「ひだまりはぁと」でも
苔テラリュウムやぬり絵のワークショップなどを
させてもらったりしています。
数年がんサロンにお邪魔させてもらっているうちに思ったことは
お茶を飲みながらたわいのないお話をしたり
楽しめる何かに夢中になったり
病気のことを完全に忘れることは難しくても
少しの時間、何かに夢中になったりすることで
気が楽になったり、同じ病気の人と話すことで
安心感みたいなものを感じるのではないかと思います。
やっぱり、経験に勝るものは無いのだと思います。
ただ、がん患者の方から話を聞くことで、
体験者まではいかなくても、
知ることはできると思うんです。
話を聞いて、病気がどんなものなのか
患者の方々はどんな経験をしているのか
色々なことを聞くことで、想像することはできるはず。
今回の「ひだまりはぁと」でも
「星座を見つけるのが今とても楽しいんです。」
「インコを飼い始めたけど、旦那さんにしかなつかないの。」
「コロナ過で入院するのもスムーズじゃないね」
など、近況やら趣味の話、また私の話も楽しそうに聞いてくれました。
笑ってお話したり、お茶を飲んだりする、たったそれだけの事でも
重要なのだと実感しました。
「ひだまりはぁと」のような活動は
エネルギッシュに動かすのではなく
日常にうまく取り込むことで、息の長い活動になり
多くの人の拠り所なるのだと思います。
「ひだまりはぁと」を運営している
唐沢かつ美さんと向井智子さんは自分たちの日常の先に
この活動があるように思います。
準備など大変なこともおありだと思いますが
それより、この活動を心底楽しんでいるように感じます。
だからこそ、14年という息の長い活動になっているんですね。
地域活動の難しいところを長く続けているのは
おふたりの人柄がなせる業なんだとあらためて感じました。
「ひだまりはぁと」は南箕輪村のぽっかぽかの家で
定期的に開催しています。
ご興味のある方はご一報ください。
おふたりにお繋ぎしますね。
ではまた。
自分が変われば相手が変わる?
先日トレーニングに通っている生徒さんお二人から嬉しい報告が。
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Aさん:
職場で私にきつくあたる人となんだかうまく話せたんです。
今回は、職場で長期休暇をとる人がいることもあって
仕事内容の話をしないといけなくなって、
事実を意識して話してみたら、相手が今までと違う態度でびっくりしました。
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Bさん:
先生聞いてください。
今まで私に嫌な態度を取っていた人が急に態度が変わったんです。
急に私に意見を求めてきたりして、もうびっくりです。
今職場の雰囲気がいいんですよね。
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このお二人に何が起きたんでしょう。
Aさんに、
「どうしてうまく話せたんだと思う?」
と質問したところ
「今まで、自分自身に苦手意識があって話すときに構えてしまって、
怒っているような態度だったんだと思います。今回は感情的にではなく
事実に目を向けて話したからなのかな?」
とおっしゃっていました。
そうなんです!
今までこのお二人は相手にベクトルを向けて
なんでこんな態度なの?
相手が変わってくれたら。
と思っていたんだと思います。
でも、トレーニングで自分を見つめ、
理性的に相手に接することが出来るようになったら
勝手に相手が変わってくれたんです。
ここが一番大事で、
相手に変化を求めても相手が変わるのはほぼ不可能です。
自分が変化をすると、
今まで関係性が悪かった相手が、自然と態度が好意的に変わったりします。
なぜそうなるのか。
今までのお二人のやりとりはお互いに不快感を残す状態で、
お互いがマイナスの行動をとっている状態です。
マイナスの行動の先には不快感しか生まれません。
その不快感をどうにかしようと
さらに相手を責めたり、怒りをぶつけるなどの
マイナスの行動をしてしまいがちです。
このお二人は、
自分のくせを知り、相手に要求するのではなく
自分自身で今どういう状況なのかを考え「マイナスの行動」を
ごく自然に「プラスの行動」に切り替えていたんだと思います。
その反応として相手が「プラスの行動」になったんではないかと思います。
そうなんです。
相手に変わってほしいと願う時には
自分の行動を変えると自然と相手の行動が変わっていくってことです。
変わってほしいと願う人がいる人は
まずは自分に目を向けてみてはいかがでしょう。
人生脚本という考え方
カナダ出身の精神科医「エリック・バーン」が提唱する
交流分析(心理学)の中で人生脚本という考え方があります。
人生脚本とは
「人生早期に親の影響で発達し、現在も進行中のプログラムのことで
個人の最も重要な場面で、どう行動するかを指図するものである」
と言われています。
私なりに解釈すると
自分の両親も同じように両親から影響を受け
作り上げた脚本を持っていて、
言葉や態度で私たちに伝え、それをベースに
今度は自身の体験で失敗と成功を繰り返しながら
5~6歳までに自分の人生脚本を完成させ、
その人生脚本で色々な場面で行動を決めていくのだと思います。
私がこの考え方に出会ったとき、
両親のことを親という生き物ではなく
戦後の復興を担って懸命に生きてきたひとりの人
なんだということに気づきました。
そうしたら、今まで私に向けられていた
言葉や態度はその時代を生きてきた人ならば
必要な生きる術だったのだと。
その時まで、「親のせいでこうなってる」と思っていたことが
見方が変わり、私の生きている時代は親の世代が
懸命に作り上げてくれた豊かな時代で
少しだけ合わなかったんだと気づいたんです。
すると、両親との関係性がみるみる変化し
今はとてもいい関係になったと思っています。
そうやって、子供のころに作り上げた人生脚本は、
その都度書き換えていくことが必要になると思うんです。
5~6歳で完成させた人生脚本は
大人になったときに自分に合っているのか否かがわかってきます。
その時が脚本の手直しをする絶好のチャンスです。
しかし、この人生脚本は何かに記してあるわけでもないので
書き換えるにはそれなりの時間と労力が必要です。
大人からどんな言葉を聞いていたのか
自分がどんな口癖を使っているのか
何に対して怒りを感じるのか
など、自分にたくさん問いかけ、
自分がどんな人生脚本を持っていて
その中で書き換えるのはどこなのかを探し
日々コツコツとトレーニングを重ねるという
なかなか手間のかかる作業です。
また、次の世代に
脚本を書き換える経験も含めて、
「ベースは伝えるけど後は自分でその都度書き換えて」と
渡して、その後子供たちが人生脚本を書き換える時
アドバイスをするのではなく、
疲れた心を労い応援する気持ちで見守ることが大切だと思います。
あなたの人生脚本はどんな構成ですか?
いちど考えてみてはいかがでしょう。
多文化共生を考えてみた vol2
先日の多文化共生をテーマににした講座で
ファシリテーターに方が、
「インドではあまりありがとうって言わないんです」
とおっしゃってました。
ん??
なぜ??
日本で生活をしている私たちにとっては、摩訶不思議?
どうやら、大切な相手に手を貸すことは当たり前の行為で
その都度ありがとうは言わないそうです。
ありがとうと言うと、「みずくさい」んだそうです。
これを聞くと、納得です。
また、ある国では、
「人は生きていると人に迷惑をかけてしまうものだから人からかけられた迷惑は許してあげなさい」
と、子供に教えるそうで、
「人は迷惑をかけるもの自分も人に迷惑をかけるのだから相手の迷惑も許したらいい」
という考えだそうです。
日本では、
「人に迷惑をかけないように気をつけなさい」
と、子供に教えています。
この違いは大きいですよね。
仕事柄、「ありがとうは魔法の言葉」と口にしています。
日本人は、自分より相手を立てることが美徳とされているせいか
外国人より、「自己肯定感」が低いとされています。
だからこそ、自己肯定感を高める効果のある
「ありがとう」という言葉は日本人にとっては
必要不可欠な言葉とも言えます。
どちらが正しいということではなく、
文化によって根本的なところが違うということです。
この違うということを自覚することで
コミュニケーションの取り方も変わります。
文化や宗教の違いはあって当たり前、
双方の歩み寄りが必要だと思います。
「違う」ということを怖がらずに、
相手のことを知り、歩み寄ってみることが
多文化共生の第一歩なのかもしれませんね。
多文化共生について考えてみた
先日、「箕輪町を多文化共生の町に~国や言語をこえての助け合い~」(全3回)
の最終回講座に参加してきました。
最後の講座のテーマは「ちがいってなんだろう?」でした。
今回もいくつかのワークがあり、
1つ目は、〇が書かれた用紙に自由に絵を描く。
2つ目は、グループで一人が絵を見せ、ほかの全員でその絵を褒めまくる
3つ目は、3回の講座で感じたことや、これから自分が何をするかを話し合う
でした。
〇をどう見立てて絵にすることはそれぞれ全く違った絵に(当たり前ですが)
それをほかの人に褒めてもらうなんてなかなかできない経験で
とっても楽しかったです。
このワークの意図は、自分と違うものを受け入れ褒めることで相手のいいところ
に目を向けるということでした。
これって、
外国人だからとか日本人だからとかだけではなく、
多くの人が直面している問題なんだと思います。
相手のいいところに目を向けるということはまさに、
「多様性を受け入れる」という世の中の流れに必要な
とっても大切なコミュニケーションの方法だと思います。
今回のワークでは、外国人との関係性だけではなく
すべての人は同じではなくて、違っているもので、
それを認めること、受け入れることが大事なんだと
あらためて感じました。
でも、大切なことだとはわかっていても
いざとなると、モヤモヤしたり反発してしまいませんか?
それはなぜなんでしょう。
私が思うに、「知らないこと」だからなんだと思うんです。
経験したことのないことや、知らないことに対して
不安を感じる人も多いと思います。
もちろん、好奇心旺盛な人や向上心の高い人はワクワクしちゃうかも。
健全で穏やかに生活するためにも「知る」ことが重要なんです。
知らないことを知るには
年齢や性別、文化や価値観の違う人から話を聴くことが一番早いんだと思います。
人と出会い、言葉を交わすことで自分の世界が広がって
さらに、言葉を交わした相手の世界も同じように広がるんです。
まずは、ちょっとだけ勇気を出して
普段話したことのない人と話してみませんか?
この2回の講座を受講して、
自分の価値観や主観を育てることが必要で
そのためにも言葉だけではなく表情やしぐさに意識を向け
価値観や文化の違う人と多く接することが大切なんだと感じました。
そして、
この講座の最後にある海外から移住された方が
「日本の空港についたとき、空港がきれいなことにびっくりしました」
「訳せない日本語がたくさんあって難しい言語を使っている」
など、日本の事、日本人の事をたくさん褒めてくれました。
日本人であることがちょっと誇らしく思いました。
そんな風に感じてくれている人が、安心して住み続けることが出来る
地域でなくてはとつくづく感じました。
スタッフの皆さん、貴重な体験をありがとうございました。
まだまだ書きたい事があるので、
続きはいずれまた。